震災から11ヶ月が経ちましたが・・・

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昨日(2月20日)、いわき市小名浜の江名地区というところに行く機会がありました。
この地区は江戸時代から漁港として栄え、サンマやマグロ、サケ、素潜り漁ではウニの水揚げが盛んだったところですが、昨年の大震災の津波による被害で、漁港は壊滅、集落の住居も数多くが流失し甚大な被害が出ました。

震災発生から11ヶ月以上が経ちましたが、漁港の機能はまだ全く回復しておらず、大半の漁船が失われ、現在残っているのは昨日見た限りでは二艘しか残っていませんでした。
地域住民の多くの人たちも地域を離れ、いわきの市街地に移り住んだり応急仮設住宅に入ったりしています。

深刻なのは福島第一原発事故による風評被害で、水産物に対する不安の声が大きく、とくに水揚げの中心となるサンマなどが大きな打撃を受けたこと。
地元水産会社は、福島沖のサンマは市場が受け入れてくれないため、安全な北海道沖で漁獲したものを扱うことに変更し安全性をPRしたつもりでしたが、それでも小名浜で水揚げしたというだけで、東京築地の市場では値段が付かない(0円)という状況が現実でした。

福島産は米もダメ、魚もダメ、肉もダメ、果物もダメ。「福島の再生なくして日本の再生なし。」と言われていますが、地元には、先行きの見えない厳しい現実が立ちはだかっています。

原発の原子炉の廃炉に40年かかると発表された中で、もう元の生活には戻れないのではないかと諦めの言葉を口にする人も少なくありません。
仕事がなければ生きても行けず、再生よりも今日の暮らしのために、仕事のある場所に断腸の思いで移り住まなければならない人も多くいます。

反面、とくに老人や漁業関係者は、今さら事務職になって収入を得るというのも現実的では無いので、なんとかこの場所で引き続き生活して行きたいという気持ちもあるようです。先祖代々受け継いだ仕事や土地、お墓だって守らなければならないのです。

なんとか再生の道筋や期間や具体的な計画を一日も早くハッキリさせて、将来への望みを描きたいと思っているものと思います。
国を挙げての決断と実行を心待ちにしているというのが、被災地の皆さん全員の思いだと思います。

さて、私りゃん父、ワダスも放射能が怖く無いわけではないではありませんが、検査体制が機能して来た中、異常に怖がるのはやめようと個人的には思っております。
これまで以上に、出荷された物の検査結果や産地や放射能以外にも使用している合成物質などをよく見ながら判別していくしかないだろうと思います。

セシウム134の半減期は2年、セシウム137の半減期は30年、ストロンチウムは29年、これから生きていく間中、ワダスの場合困ったことにおそらく天に召される瞬間まで、今回の放射性物質は付いて回るわけで、ずっと逃げられない問題なのですね。

大体、ワダスが子供の頃は、チクロやサッカリンなどという有害物質が甘味料としていろいろなお菓子とか清涼飲料に使われていて、とくにサッカリンなんかは自宅の台所にも常備されていて、直接舐めていたりしましたから、そんな中でワダスの肉体も成長して来たわけで、自分で判断するしない以前に、現代では考えられないくらいの有害物質を取り入れて(しかも幼少期に)しまっており、すでにある程度のリスクは冒した後なのです。

ですから、これからは、放射性物質だけでなく、いろんな化学物質や添加物や農薬やノロウィルスなんかもそうですが病原菌とか、いろんなものに注目しながら選択していくしかないと思っています。最後は判断するのも納得するのも自己責任しかないと言うことです。

今回の放射能の問題については、いろんな考えをお持ちだと思いますので、ワダスの思いを皆さんに押し付ける気持ちは全くありません。あくまで私見ということでご容赦願います(^人^)

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震災から11ヶ月が経ちましたが・・・ への2件のコメント

  1. 姫恋ママ より:

    こんばんは
    震災から一年が経とうとしていますが 復興に時間がかかっていますね。
    放射能問題がなければ皆さんの前向きな姿勢で 今頃は元の姿に戻っていたかも知れないと思うとやり切れないです。
    長年住んでいた土地を離れるには 断腸の想いでしょう。
    いつもいつも 被災者の方たちのことが頭から離れません。


    私も家庭菜園をしていますが 葉物野菜などは孫に食べさせたくありません。
    すぐ近くで栽培している お茶が出荷できなくなったからです。

    私は先が見えていますが 若い方には健康で長生きしてもらいたいと思うので、リスクは避けたいと思うのは親心でしょう。

    ヨウ素が配給されたと聞いたときは 背筋が凍る思いでした。

    これから先 どのように復興が進んでゆくのか いつも関心を持っていたいです。

    日本人の長いものには巻かれろ 精神がこのような問題を起こしたと思うのですが~。

  2. りゃん父 より:

    こんぬづは、りゃん父です。
    震災から今月で1年。この1年、本当に長い1年でした。
    5年にも10年にも感じられるくらい長い1年でした。

    個人的には震災前の仕事とは全く異なる、それこそ始めての仕事ばかりの毎日で、特段お話しするようなつもりも毛頭ありませんが、安否不明の社員の捜索や遺族対応や津波で天井まで泥だらけとなった損壊した店舗の片付けや無我夢中の終わりの見えない毎日だったような感じです。
    昨年夏からは被災地の中でも特に深刻な福島県浜通りにまいりましたが、こちらはもっと先が見えない、復旧とか復興という以前の状態で、日本だけでなく全世界の全人類の英知を結集してなんとかできないものかとしばしば苛立ちを覚えます。
    国の対応がなかなか進まないことについて、現地の人の中には「住民が地元に帰還することを断念するのを待って最後二束三文で土地を買い上げするのを狙っているのでは。」などとまことしやかに噂されていますから、まったく悲しい限りです。

    放射能に関しては、目に見えないものなので実に厄介。除染で洗い流しても、その水はどこに行くのかとか課題は非常に多いです。一筋縄では行きませんね。
    また、自家用車なんかも使っている分には放射線量が基準内で問題ないのに、廃車しようとしたら廃棄物としては放射線量が基準を超えるということで、廃車ができないなどという矛盾だらけの事態があるようです。

    現地の皆さんはこういった大変な状況の中、逃げたくても逃げることのできないそれぞれ事情のある方もたくさんいるので、風評被害だけはなくしてもらいたいです。
    福島から転校したら虐められただとか、いわきナンバーだと駐車を断られただとか、ひどいのは車に傷まで付けられただとか、同じ日本人として悲しい所作ですよね。

    食品に関して、ワダス、検査で安全性が証明されたのは信頼しています。
    今回の事故で検査体制は事故前に比べ、非常に徹底され機能していますし、より厳しくなっていますので、言い換えれば、今までよりずっと安全になっていると思います。

    今までだって放射線はまったくゼロだったわけではないし、水銀とかカドミウムとか農薬とかいろいろあった分野まで、今まで以上に厳しくなるものと思います。
    副次的なものですが、かえって食の安全性が注目されて良かったのではと思います。

    ・・・・とか言いつつ、添加物の多い加工食品とか安いものだから好んで食べたりして、ちゃこPしゃんに叱られるんですね〜〜〜( ̄▽ ̄;)

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