「第179回・・・マジェス子号で行く、暖冬の仙台東部復興道路~津軽煮干中華そばプチツー! 」 アップしました。
http://www.chako-p.com/dream50/dorirepo/html/200224.html
Calendar
カテゴリー
-
最近の投稿
アーカイブ
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年6月
- 2012年5月
- 2012年4月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- 2010年12月
- 2010年11月
- 2010年10月
- 2010年9月
- 2010年8月
-
(旧ダイアリー)
● 2010年8月12日まで
● 2009年
● 2008年
ご無沙汰しています。ツーレポ拝見しました。嵩上げした道路が安全なのは理解できますが、若い時に日本一周をしましたが、沖縄の南部、具志頭村の海岸線も青く美しいかったのですが、日本的な海岸美というと宮城、岩手の海岸線が一番でした。その後どのようになっていったのか気になります。Nスペの復興ハイウェーを興味深く視ました。
バイクガレージに入りきれないDioですが、玄関先に置くとドアが大きく開けられないので、そろそろバイクを少し処分しようと思います。
還暦を迎えて、断捨離を進めたいと思う今日この頃です。
こんぬづは、りゃん父です。
東日本大震災以降は、やはり「人命第一、災害対策第一」ですから、当然ながら防潮堤やかさ上げが優先されます。
それでも、防潮堤の工事はまだ完了したのが66%で、3分の2しか出来ていません。
津波で跡形もなく壊滅した地域は、地域全体をかさ上げして安全を確保し、新しく土地の区割りを行い、公共施設等の整備を進め、人が戻れるよう復旧を進めていますが、内陸部に移り住み、人が想定より戻らない地域も多くあり、人がいないと産業も復活せず、いろんな意味で厳しいのが現実です。
海岸線は、例えば松並木のようなものは、歯が欠けた櫛のようになっていて、植林した個所は将来、元のような景観が戻ると思いますが、そうでない場所、人が住まなくなった町などは荒れ地となった所も多いと思います。
ぜひ、そのような景観の変わってしまった今を見に来てもらい、地場産品なんかも食べてもらったりすると、被災地はかなり元気になると思いますよ。
ごもっともです。震災後に東北へ行ったのは、東武鉄道の特急リバティが走るようになった際に会津、喜多方方面に行きましたが、海岸側は行っていないので、ドリーム50で行ってみたいです。
リアスの海岸線を走ったのは、1989年夏です。CBR250で¥高速で福島西インターまで走り、その後、海岸線を北上して、八戸から北海道に渡りました。
こんぬづは、りゃん父です。
震災後、今年で9年経ちましたが、あちこちでよく耳にするのが、「節目の10年」。
でも、いまだに津波でさらわれた肉親が見つからない人など、節目も何も無いよなあ、と思います。時間が止まったままだと思います。
一方、被災地は確実に復興しているのも事実です。
せきとばGo!! さんがNHKで見た復興ハイウェーもそうですし、かさ上げで復興した街並みも、昔の面影は全く分からないほどですが、真新しい町に変貌しています。
そういう生まれ変わるのも、ありなんでしょうね。
リアス式海岸とか、被災地でない会津とかは昔のままの所が多いです。機会があったら、どうぞ再訪してみてください。