今週27日に、いわき市から飯館村を経由して南相馬市に行きました。
飯館村は全村避難後も空き巣等の被害を防止するためかなりの数の警察が入っています。
飯館村役場には何台ものパトカーや警察車両が常駐していますし、村へ入る際に検問はありませんが、多数の警察官が道路脇に立っています。
ワダスの前を走るパトカーは、福島県警とかではなくて、警視庁のパトカー。「足立ナンバー」です。
飯館村は南相馬市の西隣、阿武隈山地の高原地帯に位置します。
途中、眺めの素晴らしい渓谷も通ります。
平和な村が全村避難で大半の村民がいないのですから、大変なことです。
ちなみに、南相馬市も小さな子供を抱える家庭を中心に自主避難しており、市民の約半分がいないとのこと。
今は夏休みですが、来月に学校の除染を行い、夏休み明けには子供達が戻れるよう対策をするとのこと。
早く安心して住めるようになってもらいたいものです。
話は変わって、本日(29日)、ワダスの会社の今回の大震災で犠牲になった社員の慰霊祭があって出席してきました。
グループ会社、関連会社含めて、62名の社員が犠牲になりました。
遺族や会社のトップ・社員など約400名が参列。
ワダスがかつて一緒に仕事をしたことのある社員も何名もおります。
本当に残念なことです。
犠牲者の安らかなご冥福をお祈りした一日でした。
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今回の震災の傷跡が癒えるまでには、特に放射能汚染地域は本当に長い年月がかかりそうですね・・・
現地を目の当たりにすると、住むところがあって、愛する家族と一緒(って私はごんスケだけになっちゃいましたが(^^ゞ )にいられることがどんなに幸せなことなのかって痛感します。
りゃん父さんの会社の亡くなられた方、無念だったでしょうね・・・
我々はその方たちの分まで一生懸命に生きないといけませんね。
亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします・・・
こんぬづは、りゃん父です。
今回の震災特に津波被害の地域は建築基準法84条の適用及びその延長があって建築制限がかけられていますから、これまで町並みがあった場所も、瓦礫撤去後であっても建物が建てられず更地になったまま。
防潮堤のほとんどが損壊したため、海岸近くの地域は安全の確保ができず、今のままでは「復旧=元の町並みに戻す」というのは可能性が非常に低く、「復興=新たな町作りを目指す」という方向が大半のようです。
関係自治体では9月末を目処に復興案の素案をまとめるとしていて、それからやっと復興に向けて動き出すという流れですから、まだまだ先は道のりが遠いです。
一方、原発の警戒区域は、そこに会社があっても我が家があっても行けない。
当初は3~4日で戻れると思ってバスに乗り込んで避難したら、ずっと帰れなくなってしまった。家も車もペットも家畜もそのまま。しかも津波の来た場所は、被害状況も把握できない。行方不明者の捜索も出来ないというのが実態。
一日も早く収束させて、なんとか戻れるようにしてもらいたいものです。
今回、ウチの会社も犠牲者が多いことから会社として慰霊祭の運びになったものですが、遺族が全て前向きに捉えているというものでもありません。
出席を断る方、遺影を掲げたり名前の読み上げを拒否された方、慰霊祭の開催そのものに疑問を唱える方、それこそいろいろです。
参加された方も、家族、親戚、友人、中には赤ちゃん(0歳児)の遺児もいます。
それぞれが3月11日をこれからも一生忘れずに思い続けていくのでしょうね。