カブでソロツー、行ってきました。

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リトルカブ号で、ソロツー行って来ました。
レポはコチラ↓
http://www.chako-p.com/dream50/dorirepo/html/130616.html

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カブでソロツー、行ってきました。 への8件のコメント

  1. 許ッシン より:

    青森市内から大釈迦方面を通って十三湖だと一回上ってまた下るイメージですが、旧蟹田町方面に向かって行って山越えは出来ないんでしょうか?確か細い道(冬季閉鎖)があるんですよね?
    津軽出身ながら、よく地理を知りません。芦野公園は保育所時代に当時動物がいて見に行ったこと、その後小学校の時に桜を観に行きました。モトクロスをやっていてコースに酔っぱらったじいちゃんが出てきてジャンプしてきたバイクとぶつかってライダーから「大丈夫ですか」と言われる前に怒られていたのを好く憶えています。
    この岩木山は金木寄りから撮ったものですか?岩木山は富士山ほど綺麗な形ではないので方角によってかなり形が違います。弘前からだとゴツイ感じ、金木寄りだと細い女性っぽい感じです。私は見慣れている後者が好きです。
    最後に子供の頃から見慣れている岩木山が青森を代表する山だ!とず~っと思っていたのですが、三浦雄一郎さんのお父さんがスキーでマスコミに取り上げられるようになってから八甲田がクローズアップされるようになりました。県外出身の方のイメージはどうなんでしょうか?

  2. 許ッシン より:

    追伸
    十三湖まで行ったのなら近くに高山稲荷という神社がある筈です。地元では有名な神社なので残念でした。

  3. TKR より:

    りゃん父さんのアイス美味しそう(>_<)

    子供の頃遭遇した秋田のばばへらアイスを思い出しました

  4. りゃん父 より:

    許ッシンさん、こんぬづは、りゃん父です。
    十三湖へ蟹田から山越えするルートもありますね。
    それだと中泊経由で行くルートですね。ワダスは南側から車力経由で行きました。

    岩木山は五所川原の山方面から撮りました。ちょっと高さのある場所からの撮影なので、岩木山の裾野まで全容が見える感じでした。

    青森の山と言えば、やはり岩木山の方が目に浮かぶのではないでしょうか。津軽富士と言われるように形が山らしい形をしていますし、カラオケの画面なんかにも結構登場しますからね。
    青森は岩木山、岩手は岩手山、秋田は鳥海山、山形は蔵王、福島は磐梯山というのがワダス的には第一番目に出てくる山かと思います。
    宮城は栗駒とか蔵王なのでしょうが、仙台市から直接近くに見えるのは船形とか泉ケ岳なので、他の県よりはインパクトが少ないかも。
    金華山は天気予報とかでよく出てきますが、山ではなく島ですからね。

    青森の八甲田は、山形の月山と同じで山脈のような感じで、形がすぐには思い浮かびませんが、映画「八甲田山」のように雪深い山という印象ですね。
    実際、酸ヶ湯の積雪量で八甲田が毎日ニュースに取り上げられましたから、有名と言えば有名。ワダスは毎日部屋の窓から八甲田を拝んでおります。
    あとはむつの釜臥山というのがありますが、すぐにはなんと読むのわからないところが減点かな。

    • 許ッシン より:

      岩木山と聞いて勝手に安心しています。
      アイスは南部地方は知りませんが津軽地方なら結構どこでも見られます。私の方では「盛りアイス」と子供の頃から言ってました。ヘラで積み重ねていくからだと思います。
       また、むつの山は「かまぶせやま」だったと思います。スキー場があったはずですけど。
      今度は太平洋側と仰ってましたけど、青森は南部と津軽で違う藩が一緒になったので違いが面白いかもしれません。

  5. りゃん父 より:

    TKRさん、こんぬづは。
    そうそう、秋田の道路脇でへらばんばの売るアイス=ばばへら(ワダスの知っているのは由利本荘市から国道105号線で大曲に向かう途中、南外村付近の進行方向の向かって左側で営業しております。)と同じようなアイスです。
    恐山の入り口の門の前では、霊場アイスというのが売っていますが、これもばばヘラと同じ。
    なんと言っても値段が安いのが良いですね。

  6. りゃん父 より:

    許ッシンさん、こんぬづは、りゃん父です。
    青森県は津軽と南部に分かれますが、昔の藩がそうだったわけです。
    今でも、青森では私は津軽だの、あなたは南部だのと言ってますね。
    津軽と南部の境界は野辺地の馬門温泉スキー場の辺りだったようです。

    あと、会津松平家が明治に入り、藩を没収されて青森に移って作った斗南藩(となみはん)というのがあります。

    明治になってから約140年ちょっと。徳川の時代は300年続いたわけですから、会津も津軽も南部も歴史的にはついこの間まであったことなのですね。興味深いものです。

    ちなみに、明治維新の時点で、東北で最大の都市は仙台ですが、2番目は会津若松でした。当時は藩の中心地、城下町がそれくらい大きかったということです。

    • 許ッシン より:

      斗南藩さっそく調べました。歴史に疎くて勉強になりました。高校時代、合宿で下北の人と一緒になった時、南部の人ともなんか違うなと思った疑問が解けた感じがします。ありがとうございました。

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